雑記

漫棚通信ブログ版の「手塚先生泣かせのテクニック」というエントリを読んで笑わせてもらった。
2004年、まだ引用の仕方をまるで心得ていないことが広く一般に知られる前の唐沢俊一のめちゃくちゃっぷりを披露している。
唐沢は2004年4月28日の日記に
手塚治虫が泣かせのテクニックとして昔、石上三登志との対談で、
「例えば雪山で遭難した主人を助けた犬が、主人は助けたが力尽きて死ぬ。そこで満足していちゃダメで、僕はさらに、その犬を剥製にして、翌年、もう一度主人が雪山に登って、山の頂上にそれを置いていかせる。そこまでやる」
 という意味のこと(引用は不正確)を言っている。これが“商人”の感覚なのである。』
と書いているのだが、これがまったくもともとの文章とは違うらしい。漫棚通信氏の引用によると、元の文章は
『僕が大学で講演した時、学生さんから「手塚さんはどうして、そんなに泣かせるヒューマニズムに徹した作品を描くんだ」と言われたので、「僕のはヒューマニズムでなしに、センチメンタリズムで、女の子を泣かせるためのものだ」と答えたんですが(笑)、僕には泣かせるコツが三つあるわけです。一つは、死なないだろうと思っていた主人公を、最後に殺すこと(笑)。もうすぐ死ぬだろう、と思わせたら、だめ。それと、三枚目を配置して、笑わしておくこと。
それからもう一つ。泣かせたあと、余韻がほしいわけ。僕の作品では必ず余韻をつけるんです。泣かせっぱなしでなしに、最後にもう一回、その余韻のダメ押しで泣かせようというわけ。女の子を泣かせるのには、余韻をえんえんと付ける(笑)。』
なんだとか。
まるで違うじゃないか。
おそらく記憶だけで適当に書いたんだろうが、本人は引用したつもりでいるらしいのがおかしい。これを引用だと思う人間なら、盗用を引用と思い込むのも無理はないのかも知れない。