雑記

また何日かたまった唐沢俊一の日記を斜め読みしていて、漫画について語っている部分が目に付いた。2008年8月16日の日記だ。
アーチーコミックパブリケーション社長の訃報を受けて何やらほざいているのだが、とにかくこの漫画について書かれた文章は何が言いたいのか意味がまったく分からない。理解不能で要約しきれないので、特に意味不明な部分を引用してみる。

日本の漫画評論家は(ことに若手と呼ばれる評論家たちは)常に
新しいものしか評価しない。赤塚不二夫の死去の際にも、
赤塚が(山上たつひこなど若手に)乗り越えられて過去のものに
なったことを日本漫画が進歩している証拠、とか言っている文章が
いくつか目についた。
それは正しいのだろう。ある面においては確かに、進歩こそ正義だ。
だが、めまぐるしく変化し続けているが故に、日本の漫画は
ついにアートでしかなく、カルチャー(文化)足りえない、という
状況も、確かにあるのではないかと思う。

ね?何が言いたいのかちんぷんかんぷんでしょう?
この前段でアメリカの「アーチーコミックス(これじゃ出版社名だと思う。作品名なんだから「アーチー(the Archie)」なんじゃないかな)」は長年絵も内容も一切進歩しておらず、いまではアメリカ人の根幹をなす文化となった、というようなことを言っているんだけど、アメリカのひとつの漫画作品が長年変わらず続いていることと、日本の漫画界が激変していることとを比較している時点でもう理解できない。何やら若手漫画評論家に苦言を呈している風にも見えるんだけど、これじゃ誰もどういう苦言なのか分からないんじゃないかなぁ。
ひとつだけ言えるのは、日本の漫画はアートでも文化でもある必要はまったくないということ。
唐沢俊一は、日本漫画が文化になれないこと(日本の漫画文化という言葉が存在しないものとして)が問題だとでも思ってる?